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岡山オステオパシー研究所代表
付属ドリーム整体クリニカル 院長
東洋オステオパシー協会『常務理事』
公認インストラクター
公認オステオパシック・セラピスト
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【略歴】
制作プロダクション勤務等を経て、「倉敷チボリ公園」開業プロジェクト参画のため岡山県出資の第3セクター「チボリ・ジャパン株式会社」入社。
スーパーバイザーとして在任中に、腰椎椎間板ヘルニアによる腰痛・下肢麻痺に陥り、最先端のレーザー手術も受けるが、一時は10メートル歩くこともままならない状態や原因不明の後遺症にも悩まされた。数々の整形外科、鍼灸整骨院、カイロプラクティック院、整体院等で治療を受けていたが改善せず、手術・入退院を繰り返し人生に悲観した35歳の時にオステオパシー療法による治療を受け、「10数年ぶりに右足の軽さを体験」。
身体に負担がかからず、副作用の危険性のないオステオパシー療法に感銘を受け、「せめて日常生活に支障ない程度まで自分の健康を回復するためには、自分が知識を持たなければ・・・」と治療を受ける傍らオステオパシー医学を東洋オステオパシー学院などにて学修し、最新のテクニックを習得する。
東洋オステオパシー学院(本科及び研究科)在学中に臨床研究のため、1999年『岡山オステオパシー研究所』設立。
(この段階では、オステオパシーを生業にしようとは思っておらず、あくまで自分の身体を治すためにオステオパシーの勉強としてボランティアで身体を診させて頂いていました。)
その後、筋エネルギーテクニックを応用した体操療法『オステオパシー運動』を考案し、筋肉の柔軟性を回復することで「小学生以来痛くない日は無かった」、激痛期には「ぎっくり腰級の痛みが365日続いた」という腰痛を克服、激しい運動以外は事欠かないほどに快復し、2年間で約400名・延べ1000名以上の臨床経験を積んだ後、各方面からの開業要望を頂き、岡山駅西口において、2001年4月8日『ドリーム整体院』を開業する(2003.11.7『ドリーム整体クリニカル』に改称)。
(私には「痛みのない生活」が夢でした、だから「ドリーム」と冠したのです。)
2002年8月『岡山オステオパシー教室』を併設し、オステオパシーを学ぶ理学療法士/作業療法士/柔道整復師/鍼灸師など後進の教育にも携わっている。
2011年、マニュアルメディスンアカデミー徒手医学アドバンスドコース修了。
2012年、東洋オステオパシー協会・常務理事に就任。
【座右の銘】
不惜身命 鬼手佛心(ふしゃくしんみょう きしゅぶっしん)
「身命を惜しまず、慈悲の心で最高の技を駆使する」
日々是好日(ひびこれこうじつ)
「1日1日を良き日と思い、また良き日にすべく生きて行きたい」
【将来の夢】
小児専門臨床センター『チャイルド・オステオパシーセンター』の創設
及び、『重度障害専門臨床センター』の創設
私のように『激痛』と共に歩むような人生を送ることの無いように・・・。
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